カゴメ格子物質ボルボサイト、カペラサイトにおける熱ホール効果

互いに反強磁性相互作用をするスピンが三角格子やカゴメ格子などの幾何学的配置をとると、互いに反対向きになりたいという相互作用を全てのサイトで満足するようなスピン配置を取ることが困難になります。この幾何学的フラストレーションの効果によって量子揺らぎの影響が増強され、通常現れるスピンの長距離秩序状態が不安定になり、「量子スピン液体」と呼ばれる新しい量子凝縮相が現れる可能性が長年にわたって議論されてきました。

この量子スピン液体相はどのように観測できるでしょうか?磁気秩序がないために、通常の磁気測定や中性子測定では測定が困難です。そのため、量子スピン液体で現れる特徴的な「素励起」を検出しようとする試みが続けられています。強磁性体や反強磁性体では整列したスピンが波のように振動することで現れるマグノン励起と呼ばれる素励起が観測されますが、この量子スピン液体相では通常の磁性体とは“違う”素励起(ただしどう違うかは自明でない)が現れることが期待されています。この新しい素励起をどのように検出するかが実験上の大きな課題で、その一つの方法として熱ホール測定が使えるのではないかと期待しています。

絶縁体における熱ホール伝導率は理論的に、

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で与えられます。ここでf(ε)が素励起の統計性(フェルミオンかボゾンか)を反映した分布関数、Ω(ε)が素励起のベリー位相です。2つを掛け合わせたものをBZ (Brillouin zone)全体にわたって積分すれば熱ホール伝導率が得られることを示しています。すなわち、κxyを測定することで、素励起の統計性とそのバンドの持つベリー位相の情報が得られるのです。

我々はこれをカゴメ格子反強磁性体ボルボサイト [1] 、Caカペラサイト [2,3] (Fig. 1c)、Cdカペラサイト [4] (Fig. 1d)の3つの物質について測定してきました。これらの物質はFig. 1c, d に示すようにS = 1/2をもつ銅イオンがカゴメ格子状に配置した結晶構造を持っています。この試料に対してFig. 1e, fのように3つの温度計とヒーターを取り付けることで、熱流方向の温度勾配(Thigh - TL1)と熱流に垂直方向の温度勾配(TL1 - TL2)の両方を計測します。

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Fig. 1(a, b)幾何学的フラストレーションの現れる三角格子(a)とカゴメ格子(b)。(c)Caカペラサイトの結晶構造模式図。(d)Cdカペラサイトの結晶構造模式図。(e)実験配置模式図。試料に熱流を印可して、現れる温度差を3つの温度計(Thigh, TL1, TL2)で測定する。(f)実際の実験配置の写真。青い透明な試料はCaカペラサイトの単結晶。

Caカペラサイトで計測した横方向温度差の磁場依存性の結果がFig. 2 (a)です。図から明らかなように、磁場に対して非対称な温度変化が観測されていることが分かります。これは磁場によって熱流が曲げられていることを示しています。温度計の配置のずれによる影響を取り除くため、磁場に対する反対称成分だけ取り出して求めたのがFig. 1(b)の熱ホール伝導率の磁場依存性です。磁場に対して線形な熱ホール伝導率が観測されていることが分かります。この熱ホール伝導率の温度依存性を示したのがFig. 1(c)です。ボルボサイトにおける結果の比較のため、温度と磁場の大きさに対して規格化した結果を示しています。この2つの物質で非常によく似た温度依存性が観測されていることが分かります。

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Fig. 2 (a)Caカペラサイトで観測された横方向温度差の磁場依存性。明瞭な非対称成分が観測された。(b)熱ホール伝導率の磁場依存性。(c)熱ホール伝導率を温度と磁場の大きさで規格化した量の温度依存性。ボルボサイトにおける結果も載せてある。

ボルボサイトとCaカペラサイトでは縦方向の通常の熱伝導率の大きさが全然違うことが分かっていました。これは熱流の主な担い手であるフォノンの大きさが全然違うことを意味します。このフォノンの大きさが全く異なる物質で非常によく似た(符号は反対ですが)熱ホール伝導率が観測されたことはフォノン以外の、この2物質に共通の熱ホール伝導率が存在することを示唆します。実は、この2物質ではスピン相互作用の大きさJがほぼ同じであることが知られていましたので(ただし、ボルボサイトは構造変形のために実はかなり複雑)、スピンによる熱ホール伝導率を観測している可能性が考えられます。


そこで、カゴメ反強磁性体におけるスピンの熱ホール伝導率を理論的に解析することにしました。Schwinger–boson mean field theory (SBMFT)と呼ばれる計算手法を用いて、c軸方向のDzyaloshinskii–Moriya (DM)相互作用を取り入れたカゴメ反強磁性ハイゼンベルグ模型を対角化し、バンド分散(Fig. 3a)とそのベリー位相の分布(Fig. 3b)を求め、熱ホール伝導率κ_xy^SBMFTを計算しました(Fig. 3cの実線)。この理論計算に対して、スピン相互作用の大きさJとDM相互作用の大きさDをフィッティングパラメータとして実験結果をあわせたのがFig. 3cです。驚くべきことに、実験結果と理論結果が非常によく一致することが分かりました。この一致は定性的なものだけでなく、定量的にもよく合うことがわかりました。この結果は、観測された熱ホール効果がスピン由来で、そのスピン熱ホール効果がSBMFTで記述されるスピン励起に対するベリー位相の効果によってよく記述されることを示しています。

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Fig. 3(a)カゴメ反強磁性体におけるエネルギーバンド。実線と点線がup spinとdown spinのバンドをそれぞれ示している。(b)up spinの3つのバンドに対するベリー位相の効果をある温度磁場に対してプロットした図。紫の線がすべてのバンドの寄与を足し合わせた結果。(c)理論計算の結果(実線)とFig. 2(c)の実験データを重ねた図。

さらにその結果を確かめるべく、類似のカゴメ格子構造を持つCdカペラサイトで調べた結果がFig. 4(a)です。先ほどの、SBMFTによる解析に従うとスピン熱ホール伝導率はJとDだけで決まるので、試料ごとにはほとんど差が出ないはずです。ところが、試料ごとにその大きさが大きく違うことが分かりました。実はCdカペラサイトでは結晶の純良性を反映して、縦方向の熱伝導率k_xxがこれまでの2つよりも大きいことが分かっていました。このk_xxとの関係を詳しく解析したところ、15 Tの高磁場での熱ホール伝導率はフォノンによるものであることが分かりました。さらに、低温での熱ホール伝導率の磁場依存性を調べると、Fig. 4(b)で示されているように低磁場で非線形な成分があり、これが観測される磁場温度領域でk_xxにもスピンによる寄与が観測できていることが分かりました。ここからスピンによる熱ホール伝導率を取り出し、k_xxと比べたものがFig. 4(c)です。この結果から、k_xxの小さな試料ではSBMFTで決まる“intrinsic”成分の寄与が大きく、k_xxの大きな試料ではk_xxの大きさに依存する“extrinsic”成分の寄与が表れている可能性があることが分かりました。これは強磁性金属における異常ホール効果と類似した結果で、絶縁体の熱ホール効果にも類似のintrinsicとextrinsicの両方の要因が存在しうることを示しています。


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Fig. 4(a)Cdカペラサイトで観測された15 Tでの熱ホール伝導率の温度依存性。(b)熱ホール伝導率の磁場依存性。低温の非線形成分を色で表示。(c)非線形成分から見積もったスピン熱ホール伝導率の大きさと、縦熱伝導率の大きさの関係。


 参考文献

  1. Emergence of nontrivial magnetic excitations in a spin-liquid state of kagomé volborthite
    Daiki Watanabe, Kaori Sugii, Masaaki Shimozawa, Yoshitaka Suzuki, Takeshi Yajima, Hajime Ishikawa, Zenji Hiroi, Takasada Shibauchi, Yuji Matsuda, and Minoru Yamashita
    Proc. Natl. Acad. Sci. USA 113, 8653-8657 (2016); DOI: 10.1073/pnas.1524076113.
  2. Spin Thermal Hall Conductivity of a Kagomé Antiferromagnet
    Hayato Doki, Masatoshi Akazawa, Hyun-Yong Lee, Jung Hoon Han, Kaori Sugii, Masaaki Shimozawa, Naoki Kawashima, Migaku Oda, Hiroyuki Yoshida, and Minoru Yamashita
    Phys. Rev. Lett. 121, 097203 (2018). doi:10.1103/PhysRevLett.121.097203
  3. Thermal-transport studies of kagomé antiferromagnets
    Minoru Yamashita, Masatoshi Akazawa, Masaaki Shimozawa, Takasada Shibauchi, Yuji Matsuda, Hajime Ishikawa, Takeshi Yajima, Zenji Hiroi, Migaku Oda, Hiroyuki Yoshida, Hyun-Yong Lee, Jung Hoon Han and Naoki Kawashima
    J. Phys.: Condens. Matter 32 074001 (2020). doi:10.1088/1361-648X/ab50e9
  4. Thermal Hall Effects of Spins and Phonons in Kagome Antiferromagnet Cd-Kapellasite
    Masatoshi Akazawa, Masaaki Shimozawa, Shunichiro Kittaka, Toshiro Sakakibara, Ryutaro Okuma, Zenji Hiroi, Hyun-Yong Lee, Naoki Kawashima, Jung Hoon Han, Minoru Yamashita
    Phys. Rev. X 10, 041059 (2020).DOI:10.1103/PhysRevX.10.041059

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Last-modified: 2021-03-16 (火) 17:29:09 (188d)