CeCoIn5の量子振動測定f電子化合物で最も有名な超伝導体であるCeCoIn5は銅酸化物高温超伝導と同じd波の超伝導対称性を持つことで知られています。この超伝導状態が表れる起源として、隣接する磁気秩序相からの量子揺らぎの影響があることが様々な研究から知られていました。一方、CeCoIn5自体には磁気秩序相は観測されておらず、その起源は謎でした。
我々は物性研の超低温核断熱消磁冷凍機を用いた2 mKまでのCeCoIn5の磁気トルク測定から、この磁気秩序相と関係している可能性のある異常を観測しました。この実験はもともと、超低温における試料温度の確認のために行われた実験でした。希釈冷凍機温度(〜20mK)以下の電子物性測定はほとんど行われたことがありません。そのため、冷凍機の温度と試料の温度が同じになるかどうかを前もって確認する必要がありました。金属における量子振動測定では、その振幅が低温で大きくなり、その温度依存性はLifshitz-Kosevich (LK)公式で与えられることが知られています(Fig. 1(a))。電子の有効質量が大きいほど、この振幅の増加は低温で起きるので、f電子化合物における量子振動振幅の温度変化は超低温における試料温度の確認に用いることができます。この確認のために行った実験結果がFig. 1(b)です。20 mKまでは予想通りLK公式に従って温度変化していますが、それ以下の温度ではLK公式の値よりも小さくなっていることが分かります。加えて、小さいですが、周波数の変化もあることが確認されました。これは量子振動を起こしている電子に対する散乱の効果が低温で増えたことを意味します。
Fig. 1. (a)LK公式から期待される量子振動の振幅の温度依存性。電子の有効質量が大きいほど、より低温で振幅が増加する。(b) The temperature dependence of the dHvA amplitude of branch of CeCoIn5. The solid line shows the fit of the data from the standard Lifshitz-Kosevich formula. (c) The temperature dependence of the normalized shift of the dHvA frequency of . The data are shifted for clarity. The dashed lines are guides for the eye. この散乱の増加の原因の一つとして考えられるシナリオが超低温での磁気秩序相の発現です。磁気秩序相ではmagnetic breakdownとして知られる現象によって量子振動の振幅が減少することが知られています。振幅の減少が観測された温度領域を色で示したのがFig. 2(a)です。20 mK以下の超低温に隠れていた磁気秩序相が観測された可能性があると考えています。
Fig. 2. (a) The H-T phase diagram of CeCoIn5. Field-induced phase found by our measurements (pink), the Fermi liquid (FL) region (gray), the superconducting (SC) phase (blue), and the high-field SC phase (yellow) are shown. Both T_n (the red circles) and T_FL are multiplied by 4 for clarity. (b) A schematic H–T–x phase diagram near the AFM QCP, where x denotes pressure or chemical substitution. The cross section corresponds to the H–T phase diagram of CeCoIn5, in which a presumed field-induced QCP (FI QCP).
CeCoIn5の超低温NMR測定量子振動測定で観測された超低温相の詳細を明らかにするために、超低温度までのNMR測定に挑戦しました。NMR測定ではパルス磁場を試料に印加する必要があります。それによる発熱の影響を抑えるため、下の写真(Fig. 1(a))のように試料に銀線をインジウムはんだで接着し、冷凍機と強く熱接触させた状態でNMR測定を行いました。CeCoIn5にはNMRが可能な原子核が59Coと115In(2サイト)あり、そのうち59CoでのNMR測定を行いました。
Fig. 1 (a)一番左が銀線をインジウムはんだした後の試料の写真。これをNMRコイルの中に入れ、冷凍機の中に設置しました。(b)結晶格子の模式図。(c)8 TでのNMRスペクトラムの一例。59Coの7本のNMR共鳴と115Inの共鳴の一つが観測されています。 NMR測定では共鳴する2サイト間の核スピン分布数の違いが信号強度として現れます。逆に言うと、この信号強度を用いて試料温度を評価することができます。Fig. 2の左の図は単純なBoltzmann分布から得られる信号強度の温度依存性です。核スピンのゼーマンギャップと温度エネルギーが等しくなるところにピークがあり、その後急速に減少します。同じ磁場に対する核スピンのゼーマンギャップは電子のそれの1/100から1/1,000と小さいので、通常の実験条件では無視できます。すなわち、このピーク構造も超低温特有の現象で、これまで観測例はありませんでした。Fig. 2の右の図はスピンエコー法でのパルスシーケンスと試料温度の模式図です。発熱がある場合(図の実線)には繰り返し時間(repetition time)に対する依存性が表れることがわかります。実験ではこのrepetition time依存性がなくなるまでパルスを弱くすれば発熱を抑えることができることが分かりました。Fig. 2の左で期待される温度依存性を実際に測定が観測した結果がFig. 3です。
Fig. 2 左がBoltzmann分布から決まるNMR信号強度の温度依存性。それぞれの磁場でのゼーマンギャップと熱エネルギーが等しくなる温度にピークが現れる。右はNMRパルス測定におけるパルスと温度の模式図。パルスによる発熱が大きい状況(実線)ではパルス直後に電子系温度(青線)が冷凍機温度(灰色)から上昇し、遅れて核スピン系の温度(赤線)が上昇する。NMR信号強度は核スピン系の温度を反映するので、パルス照射直後では発熱前の温度における信号が観測される。しかし、NMR信号の積算は繰り返し時間(repetition time)後の核スピン系温度(Teff)での信号に対して行われるので、発熱時にはNMR信号強度に繰り返し時間依存性が観測される。これのないパルス条件を見出せば発熱の影響のないNMR測定が可能になる。 Fig. 3 Boltzmann分布で予想される温度依存性と実際の信号強度の対応。繰り返し時間依存性のないパルス条件下では理論予想通りの温度変化が観測でき、最低温度までNMR測定が行えていることが確認できた。 こうして決めたパルス条件で観測した、上部臨界磁場直上の5 Tにおける縦磁気緩和率の温度依存性がFig. 4(a)です。点線で示されているように、1/T1T の温度依存性には20 mK付近にピークがあってその後に減少する様子が観測されました。こののピークは磁気転移がある事を示していますが、5 Tよりも高磁場ではピークは観測されませんでした。この磁場依存性は量子振動測定からもとめた相図から期待される結果ではありません。その原因は現時点では不明ですが、1つの可能性として磁気構造の変化がある可能性が挙げられます。すなわち、5 Tではincommensurateであった磁気構造が高磁場側でcommensurateな磁気構造に変化するとCoサイトにおけるNMRではその変化が観測できなくなります。この可能性はIn(2)サイトでのNMRで検証できるのですが、このサイトでのNMR測定は難しく(T2がCoサイトの1/10以下と極めて短くて発熱を抑えることが困難)、今後の課題として残りました。
Fig. 4 上部臨界磁場直上の5 Tにおける縦磁気緩和率から求まる1/T1Tの温度依存性。先行研究(T. Taniguchi, S. Kitagawa,M.Manago, G. Nakamine, K. Ishida,and H. Shishido, JPS Conf. Proc. 30, 011107 (2020))の結果もあわせて表示。(b, c)実験結果から提案されるCeCoIn5における磁気構造。
|